2006/12/29

どこから考えるのか?

1.ふと疑問を持つ。

2.何に疑問を持っているか考える。

3.疑問を解消するために考える。


最後には『どこから考えるのか?』という問題がある。


『奴隷の鎖自慢』という状態がある。
思考が停止または、自己を大きく客観的に見ることが出来なくなった状態を指す。

この状態に陥った人は、1がなくなる。運良く1があっても2を行わない。稀有な事に2から3に移行するとき『どこから考えるのか?』という問題にぶつかる。

正解がないのかもしれない。しかし、何度も繰り返すことで少しはマシになるだろう思いたい。

2006/12/18

JT 2914t 奇怪

JT 日本たばこ産業のチャート
ヤフーファイナンスより引用

直近3ヶ月のチャート
直近10年のチャート

タバコ業界って斜陽産業じゃないのですか?
不景気で投資先が無いから国策会社を買ってるという考え方も成り立たなくはないので2004年からの値動きは、今回は言及しません。

問題は、JTが英国のタバコ会社(ギャラハー)を買収するという発表があった前後の株価の動きです。12月15日に発表があったわけですが、上の画像(3ヶ月もの)を見ると分かりますが12月5日過ぎから急激な動きがあります。そして、買収発表があると同時に伸び悩み陰線をつけて値下がりしています。
今後の値動きにも注目したいのですが、之こそがインサイダー取引の最たるものだと感じてしまいます。仕手筋や相場師(村上世影みたいなの)が動くと調査が入りますが国がからむと放置するのでしょうか。
この奇怪な値動きを報道しないマスコミに不信感はより一層つよくなります。

ど素人が見ても変だなぁと思えるものに、マスコミ関係者が誰一人気付いていないとは到底かんがえられない訳です。

東証も一緒になって儲けていたら末期症状です。ですが、市場の取引を管理しているのも東証で監査・調査するのも東証で、その東証に入社するのはコネがなければホボ無理で役員には天下り官僚が雁首ならべてる。

そうするとブラックボックスの形は、ある程度浮かび上がってきます。
なんて事は無い話ですが、東証を含めた権力者もグルの可能性は高いでしょうと・・・。

2006/12/14

winny訴訟

Winnyを開発・公開した元東大助手、金子勇被告が罰金150万円の有罪判決を受けた。

大手マスコミの評論は、核心をあえてボカしているようにしか思えない。著作権すなわち既得権益とは裸の王様であると言っていた人を思い出した。ここを語らずして何とすのか・・・

p2p技術とは何ぞや?インターネットとは何ぞや?という事に唯一無二の答えは無いのかもしれないが、裁判官が一介の技術屋より理解しているとは到底思えない。

しばしば例えに出されるものに、「車の開発とその利用法」や「包丁の製作とその利用法」などが挙げられる。単純なものになると銃器・武器などの抑止力が云々という建前だけの殺人が目的であることが明白であるものもある。

今回の判決は、まだ地裁であるが釈然としない。

製作者と利用者の間にある思惑のズレについて何処まで線を引くのかが明示されていない。巨大権力に裁量権を持たす事ほど危険なものは無い狂気の沙汰である。


裁判官すなわち司法試験合格者の中でも選民(エリート)は、「法」というものの運用については抜きん出たものがあるのだと思うが技術的な事については、そこいらの一寸優秀な理系大学生以下である。ここに常々問題を感じている。

一つ提案がある。
弁護士は弁理士業務をしても良いが現実は出来ない。そんな能力は無いのだから。そこで弁理士出身の知財だけに留まらず裁判官を設けるべきである。公認会計士も同様である。医師なども。

裁判官の構成を「司法試験合格者・弁理士・公認会計士・医師・(技師)」として従来の裁判官に決定的に欠けている能力を司法判断の場に出来る限り対等な関係として置くべきである。最終的な決定権を裁判官に残している既得権益から離れられない茶番劇な裁判員制度を導入するよりも肝要だと思ったりする。

2006/12/09

2極論

古くからある『極論』という単語から派生した、近世に出てきた比較的新しい言葉だそうです。

YES/NO のどちらかで物を語ることを指しているそうです。

之って凄く便利だと思う反面、危険極まりないと考えています。なぜならば、考える事を止めてしまう可能性がすごく高いからです。極論を展開するに当たっては、唯我独尊でないとままならないように思えます。そうなると多数意見に耳を傾けることが無くなり発展性を失う可能性があります。多数意見が正しいとは限らない点は要注意ですが・・・

この2極論は、物事を単純化して本質を隠したい時によく利用されています。マスコミが2極論を展開するときは、えてしてきな臭いものだと常々おもっています。

唯一無二の解がない問題は社会に満ち溢れていますが、それらについて極論を展開するということは、間にある曖昧でグレーな部分についての議論を無視するということで本質を問うことを否定していると思わざるを得ません。

多くの人に課せられるルール(法律など)においては極論は、大いに考えていただきたいですが極論を考えることで、狭間に裏道が出てきそうな気もしたりします。商売で成功している人って案外このあたりの感覚が研ぎ澄まされているのかなと思ったりします。

天下り白書
氷山の一角とは正にこの事を言うんでしょう
http://www.jinji.go.jp/recognition/
現実は、地方公務員(市職員・教員の一部)でも天下りし放題が現実ですw

2006/12/06

金<知識<知恵≦人脈≦金

金<知識<知恵≦人脈≦金

ふと頭を過ぎった、ありそうなパラドックス

知識と知恵の違いについての論争は、他所に任せます。『知識と知恵』GOOGLEで検索した一番上のサイトです。

上記の不等式は、矛盾していますが人間社会において結構あてはまりそうな気がします。そこで金というものは種類があるのではないだろうかと考えることができるのです。

では、どのような種類があるのだろうか?

小金・大金・あぶく銭・他人の金・悪銭

大別するとこんな感じになりそうだが、当該不等式においてどのように当てはめると良いのか分からない・・・

2006/12/04

住基ネット訴訟違憲判決 高裁判事自殺

ニュースソース

胡散臭いですね。プンプン臭いますね。

アメリカさんがイラクへ身勝手な利権略奪侵攻をする前提は、少し前に否定されたのは周知の事実です。

侵攻する前提とは大量破壊兵器の有無なのですが、侵攻前に調査団が米国に帰国して大量破壊兵器は無いというレポートを提出した調査員が数日後に自殺したことを思い出しました。本件と同種の臭いがします。

ここでもマスゴミさんは、只でさえ無い信頼をより一層奈落の底まで落としたことでしょう。両事件において大々的に報道するべきであるにも関わらず大本営発表を垂れ流す体たらくぶりを何時もの通り如何なく発揮してくれました。

法律というのは観念の塊ですが、それに実効性を持たせて現実のものにし共通のルールとしている点は概ね否めないと言えます。それなのに、この法律というものについて普通教育の必須科目に入っていない事が非常に遺憾なのです。なぜならば、賢い人から馬鹿でも20歳になると否応無しに、このルールの世界に住むのに何も分かっていないのは教育制度の怠慢だと思えるわけです。ルールの作り手や外に生きる人種は、えてして制度を熟知しているもので無知な人が鴨葱に見えて垂涎は必至でしょう。

道徳を教える側が不祥事だらけでは教える資格があるとは到底思えませんが、法律でしたら裁かれる様を以って教えている人も多数いるわけでして題材や何処まで教えて良いのかという曖昧な線引きに困らないのではないだろうか・・・。

2006/12/03

妥協と物分かりの良さ

同じ行動を指している様に見える。

妥協
対立していた者の一方が他方に、あるいは双方が譲ることで意見をまとめること。
(goo辞書より)

『物分かりの良さ』とは?
日常の用法から察するに、単に計算・知識などといったいわゆる学力という頭の良さを指した物である事は少ない。特定の状況において合理的な判断を下す事・様を指す事が多いように思えるので以下は之を前提としての話である。

両方ほぼ同じ意味だと思うし、傍から見た時の当人の行動は同じである。しかし、重箱の隅をつつくようだが一点だけ全く違う箇所がある。

妥協の意味に含まれる『双方が譲ること~』の箇所である。これは、任意の交渉事において当事者双方の意思が介在しないと成立しえないものである。一般に言われる『物分かりの良さ』とは、あくまでも本人だけ即ち自己完結してしまっている話に他ならない。

何らかの揉め事が起こった時に、事を荒立てる人とそうでいない人がいる。世間では、前者を『物分かりの悪い人』と言うが果たして実際にそうなのだろうか?

妥協できないからこそ揉めるのであって、時には茨の道でも進まなければアイデンティティを破壊され現状の生活を脅かされる事もあり得ると考えられる。

そうすると『物分かりの良さ』とは、闘うことから逃げている可能性が非常に高いと思える。なぜ高いのか?それは『物分かりの悪い人』が少ないからだ。特に自分より大きな権力と闘うときに悲しいかな顕著にこれが見て取れる。『どうせ~』『やったところで~』なんていう台詞を幾度と無く聞いた事か・・・

個々人が『物分かりの良さ』は正しく良い事だと思い込んでいるのではないかと疑念をもってならない。今一度、自身の行動を見つめなおしてもらえる題材となれば幸いである。

2006/11/30

インターネットの利点を活かしたい

官報 オンライン版
http://kanpou.npb.go.jp/

日弁連(日本弁護士連合会)
http://www.nichibenren.or.jp/

内閣府 法案提出状況
http://www.cao.go.jp/houan/houan.html

上記の3つは、お勧めできます。

マスゴミがなんぞにざわついた時には焦らずに、まずは隅々まで目を通したいサイトです。

インターネットという一昔前では、想像も出来無い便利な世の中になったというのに、悲しいかな其れを扱う人間によって結果が違うのは世の常ですね。

包丁と犯罪の関係が有名でしょうか・・・

官報なんて紙面で読んで見ると、其れはそれは国民を舐めきっている事が中学生でも分かるほどに放漫な事をしでかしてくれています。

官報を24時間365日垂れ流すだけの専門チャンネルを創設して欲しいものです。費用だって調査費がいらないんだから年間数億で可能でしょうしね・・・。

2006/11/29

外部環境からくる学習格差とその連鎖

よく言われている話です。

松下幸之助は40年位前からこの事を予見していたそうです。著書の中にもこの問題についてかなりの回数がふれられています。

大昔から変わらない問題であるような気もしないではないが・・・

幸か不幸か、この格差問題について真ん中より上にいる私ですが、教育産業の末端に携わっている者として最近の小中学生の頭の悪さにビックリします。もちろん、昔と変わらず賢い子もいますが中間層の無さは異常です。中央分布なんてありえませんM字型になっています。

また、頭の悪いガキの親はやっぱり頭が悪い事が非常に多いです。
トンビがタカを生まないのは世の常なんですね

それでもクソガキの学力を上げるのが仕事ですので策を講じるわけです。あれやこれと試して見ましたが一番効果があったのはクソガキとその保護者との三者面談でハッキリとクソガキが馬鹿であることを伝え保護者に同調させるとともに危機感を持たす事です。

保護者の意識を変えるとガキもつられる事が多いように思います。


公共の教育現場では、し辛いというよりも、公務員という温室を壊したくない意図が見えみえです。私学の教師であっても国からの補助金・助成金で成り立っているのですから形を変えた公務員であるといえるわけです。

このような教育産業にお世話になりに来る(来れる)人たちは、まだ幾ばくかの救いの道はあるのですが、それ以外の実態はどうなっているのか人づてでしか知る術がありません。

現在、学級崩壊が叫ばれてますがこれもまたお上に報告されている以上に事態は深刻だそうです。報告していないだけで崩壊している事例は枚挙に暇がないそうです。

公務員という特権階級になりたい輩は腐るほどいるので、需要と供給の関係から給与を引き下げることは可能だと思います。しかし、ある程度は維持しないと有能な方が来てくれません。そこで解決策の一つとしてジャンジャン首を切れば良いんです。人材が不足したところで成り手は幾らでもいるわけで気にせず不祥事=懲戒免職これで良い様に思います。

ゲーム理論から思う信用の重要性

ゲーム理論から思う信用の重要性

当該理論で有名なものに「囚人のジレンマ」がある

之を発表した人メリル・フラッド とメルビン・ドレシャーに、私が思った事を意図していたかは定かでは無いが、示唆に富んだものだと思った。


AとBが最大の利得を得るためには協調することである。

この協調方略(戦略)とは、相互の信用が無ければ成立し得ない当然といえば、当然であるが見逃せない重要な点である。

昨今の実社会における利己主義まがいのものを見ると全体から見た時の最大利得すなわち利害関係人における最良の結果を考慮していない事がよくわかる。

我がよければ全て良しとするのも一つの考え方であり弁証法による社会発展の要素としての
多様性の重要性から鑑みるに、個人的には別段の問題性は感じられない

物事の判断基準に"善悪"を持ち出すとややこしくなる

変わりに"損得"をおくと目ざとい人など悪しきイメージをもたれがちだが、当該理論から考察するに意外と良好な関係を保てそうなのは後者である事が推察できる。

この推察を前提に置くと、国内外の政局での事件が思いの他に繋がって来る様に思うのは、私だけの気のせいのだろうか?

いかがなものか?