2007/02/22

時間の流れは平等だ

『時間の流れは平等だ』

最近になって、この言葉の意味を強く思い知らされる。

いつもの毎日、いつもの週末のように感じるだけで、やはり時間は進んでいて何処かで変化が起こっている。

時間は冷酷で非情であり平等である。

それ故に、儚い一生において努力が重要になると思えるし、儚いだけにそう思わない事も当然にあっても良いとも思えたりする。

多様な事柄に思案を巡らせるのが楽しくて仕方が無い。
しかし、自身と共に過ごして来た人たちを無碍に振り払うことは得策ではないと考えたりもするがどうだろうか。

年齢を重ねるにつれて関係人が多くなり耳に入ってくる"変化"が多くなる。
外部で起こる変化は、迎合させざるを得ないものであるが時として苦いものである。

変化と立ち向かうこともあるかもしれないが、受入れ、そして受け流すことが難しくても試行錯誤を尽くしたい。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

昨日「電車男」を見て思い切り泣きました。年をとって涙腺が緩んだのか。
いいえ、昔から藤山寛美の人情喜劇にも爆泣きする体質だったのです。
ライク・ザ・ローリング・ストーン。
・・・をぼくは知らない。よく分からない。さっぱり分からない。
でも知っている限りのことをさも正しいかのような顔をして教えたりして。相手の無知につけこむ。悪意ではないが・・・
こういう発想は臆病です。個を大切にしすぎています。そんなもの意味無いです。w
と、思うばかりの今日この頃ですが。春が近そうです。w